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2015年10月03日

仁について考える。愛、思いやり、人間関係



仁について考える。愛、思いやり、人間関係

新潟の「論語に学ぶ会」高野大造先生
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/index.htm
を、中心に参考にさせて頂きました。

ドラマ「恕の人」で、仁とは、人偏に二と書く、人と人がいる時に大切な徳目、感情
と、いうようなことを言っていました。
NHK大河ドラマ「天地人」で、直江兼続が、愛の文字を兜に飾っていました。
兼続は、愛を仁愛の愛と言っている。さて、仁愛とは?

論語に学ぶ会より
雍也第六_22
樊遅(はんち)が知とは何かと尋ねた
孔子が言った
人としての義務を果たして
鬼神を敬うが鬼神に頼らない
これが知というものだ
仁とは何かと尋ねた
孔子が言った
人のために尽力して報酬を期待しないこと
これが仁というものだ





論語に学ぶ会
子路第十三 331 樊遅問仁。子曰、居處恭、執事敬、與人忠、雖之夷狄、不可棄也。
樊遅が仁を問うた。孔子は、「家でくつろいでいる時は恭(うやうや)しく、仕事に臨む時は慎重に、人と交わる時は誠実に。この三つは、たとえどんな未開の国に行ったとしても忘れてはならんぞ!」と云った。

樊遅が仁について質問した。
先生がおっしゃった。
家にいる時はうやうやしく、仕事をする時は一心に怠らず、また慎重に取り組み、人との交わりは真心を持って。こういうことは、たとえ野蛮人の国のような文化の低い所に行ったとしても、棄ててはならない。

早◯、、、未開の地=野蛮な人々の集まりの場所であれば、たとえ、先進国の中でも、未開の地と考えるべきだろう。つまり、道徳が無い場所なんだから。


論語に学ぶ会に次のように書いてあります。
論語の中でピンボケ樊遅が仁を問うている箇所は、本章を入れて三本あります。最初に登場するのは、雍也第六「仁者は難きを先にして獲(う)ることを後にす」。次が、顔淵第十二「人を愛す」。最後が本章ですが、時系列的な会話の順序から云えば、本章「居る処恭、…」が最初で→次が「難きを先にして…」→最後が「人を愛す」と考えたら良いのではないかと思います。

樊遅が入門したての頃は、孔子も樊遅の性格や能力をよく知りませんから、「恭・敬・忠」と一般的な応え方をした。様子を見ていると、頭は鈍いが利には聡い所があるので、「利益は後回し!」と答えた。しばらくすると、樊遅のピンボケ具合が分かったので、これは余程簡単明瞭に云って聴かせないとダメだろうと思ったのでしょう、「人を愛す」と答えた。
1「恭・敬・忠」
家にいる時はうやうやしく、仕事をする時は一心に怠らず、また慎重に取り組み、人との交わりは真心を持って。こういうことは、たとえ野蛮人の国のような文化の低い所に行ったとしても、棄ててはならない。(私が思うに、野蛮で無くても、文明国でも、野蛮な人の集まりや利己主義の人の集まりのグループに行った時も、心すべき教訓だと思う)
2「利益は後回し!」
仁とは何かと尋ねた
孔子が言った
人のために尽力して報酬を期待しないこと
これが仁というものだ
3「人を愛す」
顔淵第十二 310
子供論語
弟子でしの樊遅はんちが、「仁じんとはどういうことですか?」と質問しつもんた。孔子こうし様さまは、「人ひとを愛あいしなさい!」と答こたえた樊遅はんちはこれなら自分じぶんにもできそうだと思おもい、次つぎに「知ちとはどういうことですか?」と質問しつもんした。孔子こうし様さまは、「人ひとを知しりなさい!」と答こたえた。樊遅はんちはよく意味いみが分わからずポカ~ンとしていたら、孔子こうし様さまは、「素直すなおな性格せいかくの人ひとをリーダーにして、ヒネクレた人ひと達たちを指導しどうさせれば、ヒネクレていた人ひと達たちも自然しぜんに素直すなおになるのだよ」とおっしゃった。奨遅はんちはますます分わからなくなって、、、、略、、、



論語に学ぶ会に 顔淵第十二 289
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-12-289.htm
〔 子供論語 意訳 〕
「顔淵が、仁じんとはどういうことを言いうのですか?」と質問しつもんした。孔子こうし様さまは「自分じぶんさえ良よければというわがまま心こころを押おさえて、真心まごころで人ひとに接せっするのが仁じんということだね。その第一歩だいいっほがまず礼儀れいぎ正ただしくすることだ。
間違まちがったことに対たいしては、見みざる・聞きかざる・言いわざる・為なさざるの四よんザルを心こころがけなさい」


恕、、、早◯、今思う。女の国の心(安岡正篤氏解説。口は、くちで無くて国がまえの意味)、子供を自分のことのように思うことでは?
許先生は、如しの心と言う。なるほど。他の人の心を自分の心のように思うことかも。
一般には日本では、許す心、又は、思いやりと、訳す。


克己心
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-12-289.htm
顔淵第十二 289
克己復禮爲仁

克己心の意味は、学校で、自分を奮い立たせて弱い自分に打ち勝つことと、
学んだ気がする。エンジンをふかす方向だ。
yahoo知恵袋でも、同じ質問がいくつか出ていて、二種類の回答が出ている。
一つは、このエンジンをふかせ、頑張れと言う意味。
もう一つは、欲望を抑えろと言う意味、つまりブレーキ的な意味。

エンジンとしての克己心の説明は、弱い自分を、強くせよと言うところでしょうか。
ブレーキとしての克己心の説明は、欲望強い自分・利己心強い自分を、制御せよ
と言うところでしょうか。

日本人は、一方はエンジンでもう一方はブレーキなのに、どちらも同じ意味として聞き流し、
読み流す人が多い。
ドイツ人だったら、どっちやねんどっちかにせえよ、って言うかもしれません。

じゃあ、語源的には、論語の冒頭の孔子と顔淵の対話から来ているのなら、
ブレーキの方のような気がする。

高野先生の論語に学ぶ会では、最初の『己』を、私心と訳している。
子供論語では、『自分さえよければと言うわがままごころ』としている。

私心を検索すると、
1 一個人としての気持ち。自分一人の考え。私意。「―を述べる」
2 自分一人の利益を図る心。利己心。私情。「―を捨て去る」
二つの意味がある。



会では、2の意味として使っているのだろうが、
やはり、子供論語の、直訳の方がいいと思う。

利己心に勝つ(克つ)、利己心をコントロールする、

克己心、yahoo知恵袋に戻ると

・自分の感情・欲望・邪念などにうちかつ心」という意味です。(ブレーキ)
・自分の欲望を抑える心。自制心。(ブレーキ)
・己の弱い精神に克(か)つ心。自分の心の弱さを克服しようという心意気(エンジン)
・我儘やだらけたいという気持ちに克つこと

さて、克己心の意味は、どっちなの?

ブレーキの意味が強そう、優勢。

すべきことをし、すべきで無いことをしない、と言う意味を書いてる人もいるなあ。
つまりブレーキとエンジンと両方が正しいと言う意見ですね。

さて、戻ります。
顔淵第十二 289
克己復禮爲仁
顔淵問う、仁とは何か?子曰く、己に克ち礼に帰ることを仁と為す。

仁のことを問うているのだから、
『己に克つ』の意味は、論語に学ぶ会の指摘する通り、
『『自分さえよければと言うわがままごころ・私心』を押さえて(真心に帰ること)』

本来の論語の意味を離れて、日本語の克己心は、意味が変わって来たと見る方がいいようです。

論語の意味は、自分さえ良ければと言うわがまま心を抑えること。
日本語では、自分の欲望・感情を抑える心。自制心。仏教的?

欲望を抑えろと言うのもおかしな話だと思う。
欲望には、いい欲望と、悪い欲望があるから。
日本人は、欲望全て悪いと言う意味で使いやすいが、そのくせ、別のところでは例えばスポーツや買い物の時は、欲望はいいことだと言う。おかしな国民だ。あるときは、仏教的。別の有る時は物欲成功哲学的。

仁、思いやり、真心、人間関係の知恵、幸福の知恵などから考えると、
欲望を抑えるので無く、自分さえ良ければと言うわがまま心を抑えるのが正しい。

ただ、暗黙の了解で、
欲望・感情を抑えるとは、
悪い欲望・悪い感情を抑えると言う意味で、
悪い欲望・悪い感情とは、自分さえ良ければと言うわがまま心から出るものだ
、、、
と言う意味が有るのなら、
正しい。

しかし、そこまで考える日本人が、いるわけが無い。

だから、克己心の意味は、
世間やネットの辞書で言ってる意味が間違いで、
論語に学ぶ会の言ってる
顔淵第十二 289
克己復禮爲仁
が、正しいと思う。
『己に克つ』の意味は、論語に学ぶ会の指摘する通り、
『『自分さえよければと言うわがままごころ・私心』を押さえること』

顔淵という先生のお気に入りの勉学家に対する『仁』の答えは、

顔淵第十二 289
克己復禮爲仁
顔淵問う、仁とは何か?子曰く、己に克ち礼に帰ることを仁と為す。
『『自分さえよければと言うわがままごころ・私心』を押さえて真心に帰ること』
だから、利己主義をやめて、思いやりに帰りましょうよ。それが仁です。
孔丘先生は、そう言ってるんですね。

だから、孔丘先生、大好きです。

自分さえ良ければいいと、主張する人のいかに、多いことか。
人類、全然、進歩していない。


顔淵第十二 290
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-12-290.htm
これは、素晴らしいページだ。
仁についての、大事なページだ。
『己おのれの欲ほっせざる所ところは、人ひとに施ほどこすこと勿なかれ』
思いやり。大事だ。素晴らしい。
さらに、聖書との比較、さらに、積極的な話も追加している。
完璧。

〔 通釈 〕
仲弓が仁とはどういうことかを問うた。孔子は「一度門を出て世人と交わるからには、大切な賓客を迎えるように敬意を表しなさい。決して横柄な態度をとってはならん!又、上に立って人民を公役に使う立場になっても、重大な祭祀を執り行なうように、慎み深く接しなさい。けっして傲慢な態度をとってはならん!
つまり、自分が嫌なことは人に仕向けてはならんと云うことだ。かくすれば邦にあって人民に怨まれることもなく、家にあって家人に怨まれることもないだろう」と答えた。


人にはいつも敬意をはらい、横柄な態度はダメよ。人の上に立っても傲慢な態度はダメよ。
自分が嫌なことは人にも、してはダメよ 。

http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/deshi_1.htm
4番、仲弓、 冉 雍は、十哲の一人、徳行と書いてあるが
南面(指導者として)して政治を執るに足る仲弓、とも書いてある。政治的な人でも有るのだろう。そんな仲弓に孔丘先生がおっしゃったことが、上記のこと。
己の欲せざること、、、は、有名だが、他の部分も大切だなあ。
人に横柄な態度、傲慢な態度は、してはダメよ、しないのが、仁者ですよって。
そして、国と家の人に恨まれない方法を説いている。
つまり、仁は、人との関わりが重要で国も家も同じであることを言ってる。

顔淵第十二 291
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-12-291.htm
〔 通釈 〕
司馬牛が仁とはどういうことかを問うた。孔子は「仁者とは、言葉を控え目にすることだ」と云った。あまりにも簡単な答えに納得しかねた司馬牛は、「言葉を控え目にするだけで、本当に仁者と云えるのでしょうか?」と重ねて問うた。孔子は「ああそうだ!何事も口で云うのは簡単だが、実行するのは難しい。だから、どうして言葉を控え目にせずにいられようか」と答えた。


口が軽い人、実行しないことをしゃべる人に対しては、孔丘先生は、このように言ったわけですね。



八佾第三 043
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-03-043.htm
子曰、人而不仁、如禮何。人而不仁、如樂何。
〔 読み下し 〕
子し曰のたまわく、人ひとにして仁じんならずんば、礼れいを如何いかにせん。人ひとにして仁じんならずんば、楽がくを如何いかにせん。
〔 通釈 〕
孔子云う、「思いやりのかけらもない者が、上辺だけ礼に叶っていたとしても、そんなものが何になろう。愛情のかけらもない者が、技巧(テクニック)だけで音楽を奏でたとしても、そんなものが何になろう」と。
〔 解説 〕
礼は仁あっての礼・仁に根ざした所の礼ですから、仁の根っこから断ち切られた礼は、体裁をつくろうだけの「虚礼」となります。これと同様、楽も仁あっての楽・仁に根ざした所の楽でありまして、仁の根っこから断ち切られた楽は、技巧(テクニック)だけの「虚楽」であると孔子は云います。

仁がいかに重要であるかを示してますね


述而第七 156 新潟高野大造氏の論語に学ぶ
子曰、志於道、據於徳、依於仁、游於藝。
〔 読み下し 〕
子し日のたまわく、道みちに志こころざし、徳とくに拠より、仁じんに依より、芸げいに游あそぶ。
〔 通釈 〕
孔子云う、「人として正しい道を踏み行なうよう心掛けなさい。そして人格(徳)を磨きなさい。徳の実践はすべて仁をより所としなさい。その上で豊かな教養を身につけ悠々と生きる。これが人生の王道だ」と。
芸とは六芸(りくげい)(礼・楽・射・御・書・数)のことで、当時の教養とされておったものですが、孔子は、道に志し、徳に拠り、仁に依り、その上で游芸・豊かな教養を身につけよ!と云う。



早◯解釈
道は人の道、野獣の道が弱肉強食に対しての人の道は弱者を強者が守る思いやりの道。道は志すと有ります。つまり目指すのが道という解釈です。
徳に拠ると有ります。徳は、心を真っ直ぐに行うというのが高野先生の解釈。ならば、徳に拠るとは、処ですから、真っ直ぐな心のままで居なさいということでは無いのだろうか。
仁に依ると有ります。よる、と言う読み方は同じですが、漢字が違います。仁に依るとは、仁=思いやりなどを判断の依り処にしなさいと言うことでは無いだろうか。。
道は目指すところ、徳(真っ直ぐな心の行動)は居る処、仁は依り処。
早◯は、そう解釈します。

論語(ろんご)ガイド
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孔子が言った
人格者たらんと志を持ち
道徳に従い
仁の心に従い
技芸を楽しみなさい




仁について考える。愛、思いやり、人間関係

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