2019年04月06日
自由と愛の両立同時達成、個人の幸福と全体の幸福・神の願いの同時達成
成功法則・プラス思考、と、日月神示・ひふみ神示
日月神示・ひふみ神示では、プラス思考を否定しているわけでは無いと思う。
どっちかというと、肯定している。
魂の底からの望みを重視する自由と、魂の底からの共存を重視する愛。
その同時達成。
早◯の感覚で言えば、
表面意識は分列志向、個性化重視、自由重視、利己的になりやすく
潜在意識は愛情志向、共通化重視、共存重視、同情や気持ちを共有しやすい。
そのため、個性意識と共通意識と呼んだりする。
共通意識には
家族共通意識、集団共通意識、地域共通意識、国の共通意識、民族共通意識、人種共通意識、性別共通意識、人類共通意識、生物共通意識などなど考えられるが、固定化されたもので無く、重複してたり、人によって部分的に無かったりする。
漢字が多く、難しいので、言い直すと
心には、
表面的な部分と
奥底の部分があり、
表面的な部分は、自由重視しがちで
奥底の部分は、共存・愛を重視しがちである。
愛には段階があり、
自分に近い人だけを愛する家族愛や友情や個人恋愛の段階と
小さなグループや集団のことも愛する段階
さらに大きな集団も考え奉仕し愛する段階
さらに国家や人類全体のことまで責任を持とうとする段階など
人により様々な形ではあるが、強さ・深さ・種類を含めて
いろんな愛がある。
魂は、その中で、様々な方向へ、成長をしようと、している。
前の記事とその前の記事で書いた、
分列の神=個性化のエネルギーで
合流の神=合流のエネルギーであると言える。
個性化が悪いわけで無く、合流が悪いわけでも無い。
ただ、個性化が、利己的になり、自分だけの欲望達成や自分だけの幸福を求めた時、大きな目で見て、不幸を増やすことになる。
また、合流が必ずいいわけで無く、全体主義(この言葉は、使い方に不満がある、国家全体主義とでも言った方がいい)のために、個人の幸福を犠牲にすることは、大きな目で見て、不幸を増やすことになる。
ここは、魂の目で見て、
魂の、心の底から、自分のやりたいこと・喜びのことを進める個性化は、個人の目で見ても、大きな目で見て全体の目で見ても、幸福を増やすことになる。
個性化エネルギーが、幸福を呼ぶ場合は、正しい選択だと言える。
ただ、それが、他の人の不幸を作ったり、弱肉強食で敗者や傷つく人を作ったりする場合は、全体の目で見て、大きな目で見て、間違っている。
あくまでも、日月神示・ひふみ神示では、個人の幸福も神への奉仕(全体の幸福)も、同時達成でなければならないという立場だ。
それが、
表面意識だけで判断すると、失敗しやすい。失敗とは、個人を犠牲に全体に奉仕するか、全体に歯向かって、あるいは、誰かを犠牲にして、個人・強者が利益を手に入れる利己主義になる事を言っている。
個人か、全体(国家全体・集団全体)どっちかに、なりやすい。
表面意識のみでの判断は、個人か、全体(国家全体・集団全体)どっちかに、なりやすい。
神示は、どっちも同時に幸福になれと言ってると思う。
そして、どうしても難しい時は、どっちかというと、大きな目で見た方へ行こうと言っている。
それが、回り回って、個人の幸福にも、回って来るという。
「近目(短期志向・焦り思考)」は、ダメよって。
世間で、出回っている、プラス思考や成功法則・成功哲学は、
表面意識の幸福になりやすいと思う。
そもそも、経営学で言う「人材」という言葉からして、他の人を材料扱いしている。
社員は、会社運営の材料という意味になりやすい。
神示では、この、表面的な見方が上手な人は、最初はすぐ高みにいたるが、やがて行き詰まると言う。しかし、表面と魂・心の奥底のことも重視する人は、最初はうまく行かないが、やがて時間はかかるが、こちらの方が、神の恩恵を受ける、つまり幸福になれると言ってると思う。
表面的な見方とは、
嘘は武器、弱肉強食が正しく、他の人は洗脳したり暗示にかけたりして、うまく道具にすればいいと言う見方だ。自分さえ、自分達さえ良ければいいと言う考えになりやすい。
はっきり言って、ブランドや「有名だから」というものの多くは、暗示にかけられてると思う。コマーシャルだけで無く、多くの人の意見が、暗示の効果がある。
みんなが、いいと言ってるから、、、とか、お金や豪華さを演出したものは、優越感を誘うが、短い肉体人生だけの欲望達成であると言える。
もっと、生まれ変わりの繰り返しの、長い長い目で見る人は少ない。
もっと、大きな目、たくさんの人の幸福を考えた目で見る人は少ない。
贅沢は、逆に差別・格差と弱者切り捨てにつながっていることを見逃す人が多い。
それだけの富を、多くの人に流す方が、全体の幸福を押し上げる。
贅沢を使う方が、お金が回っていいと言う人に言おう。そのお金を、人のために使う方が、もっと、お金が回っていいのにねー。
神示では、各人の守護神に聞けと言う。
私の解釈では、小さな共通意識から、より大きな範囲の共通意識まで、共通意識に聞け、潜在意識の中の共通意識を重視しよう、ということです。
我よし(利己主義)は、ダメよ。鼻高(傲慢)ダメよ。取り違い(正しいと思ってることが、大きな目で見て正しくないことがある)ダメよ。
魂の、心の奥底の、本当にやりたいことは、共通意識を幸福にするための役割だと思う。大きな神は、それぞれの神々に、役割りを与えた。それぞれの神々は、役割りを、担(にな)い、役目を果たすことが幸福だという風に、大きな神は作ったはずだ。
魂の本当にやりたいことは、共通意識の、そして、全体の幸福にも役立つことであるはずだ。
しかし、現代、共通意識と、表面意識は、分断され、遠く離れてしまっている。
岩戸締めと言う。
その、表面意識と共通意識の両方の幸福を一致させ、両方を幸福にさせること、それを岩戸開きと言う。
私は、成功者では無い。
だから、この話を書く資格は無いかもしれない。
でも、たくさんの、成功法則や成功哲学、プラス思考の本を読んだ中で、
人を犠牲にした、人を材料扱いした、弱者を足蹴(あしげ)にした、弱肉強食と競争勝ち抜きのみを重視した、考えが多いことをつくづく感じる。
弱肉強食じゃなく、両方幸福、個人も神も幸福にする、日月神示・ひふみ神示。
競争や戦さ(いくさ)もあるが、悪をも抱こうとする心。
そんな、心を、おすすめします。
日月神示・ひふみ神示では、プラス思考を否定しているわけでは無いと思う。
どっちかというと、肯定している。
魂の底からの望みを重視する自由と、魂の底からの共存を重視する愛。
その同時達成。
早◯の感覚で言えば、
表面意識は分列志向、個性化重視、自由重視、利己的になりやすく
潜在意識は愛情志向、共通化重視、共存重視、同情や気持ちを共有しやすい。
そのため、個性意識と共通意識と呼んだりする。
共通意識には
家族共通意識、集団共通意識、地域共通意識、国の共通意識、民族共通意識、人種共通意識、性別共通意識、人類共通意識、生物共通意識などなど考えられるが、固定化されたもので無く、重複してたり、人によって部分的に無かったりする。
漢字が多く、難しいので、言い直すと
心には、
表面的な部分と
奥底の部分があり、
表面的な部分は、自由重視しがちで
奥底の部分は、共存・愛を重視しがちである。
愛には段階があり、
自分に近い人だけを愛する家族愛や友情や個人恋愛の段階と
小さなグループや集団のことも愛する段階
さらに大きな集団も考え奉仕し愛する段階
さらに国家や人類全体のことまで責任を持とうとする段階など
人により様々な形ではあるが、強さ・深さ・種類を含めて
いろんな愛がある。
魂は、その中で、様々な方向へ、成長をしようと、している。
前の記事とその前の記事で書いた、
分列の神=個性化のエネルギーで
合流の神=合流のエネルギーであると言える。
個性化が悪いわけで無く、合流が悪いわけでも無い。
ただ、個性化が、利己的になり、自分だけの欲望達成や自分だけの幸福を求めた時、大きな目で見て、不幸を増やすことになる。
また、合流が必ずいいわけで無く、全体主義(この言葉は、使い方に不満がある、国家全体主義とでも言った方がいい)のために、個人の幸福を犠牲にすることは、大きな目で見て、不幸を増やすことになる。
ここは、魂の目で見て、
魂の、心の底から、自分のやりたいこと・喜びのことを進める個性化は、個人の目で見ても、大きな目で見て全体の目で見ても、幸福を増やすことになる。
個性化エネルギーが、幸福を呼ぶ場合は、正しい選択だと言える。
ただ、それが、他の人の不幸を作ったり、弱肉強食で敗者や傷つく人を作ったりする場合は、全体の目で見て、大きな目で見て、間違っている。
あくまでも、日月神示・ひふみ神示では、個人の幸福も神への奉仕(全体の幸福)も、同時達成でなければならないという立場だ。
それが、
表面意識だけで判断すると、失敗しやすい。失敗とは、個人を犠牲に全体に奉仕するか、全体に歯向かって、あるいは、誰かを犠牲にして、個人・強者が利益を手に入れる利己主義になる事を言っている。
個人か、全体(国家全体・集団全体)どっちかに、なりやすい。
表面意識のみでの判断は、個人か、全体(国家全体・集団全体)どっちかに、なりやすい。
神示は、どっちも同時に幸福になれと言ってると思う。
そして、どうしても難しい時は、どっちかというと、大きな目で見た方へ行こうと言っている。
それが、回り回って、個人の幸福にも、回って来るという。
「近目(短期志向・焦り思考)」は、ダメよって。
世間で、出回っている、プラス思考や成功法則・成功哲学は、
表面意識の幸福になりやすいと思う。
そもそも、経営学で言う「人材」という言葉からして、他の人を材料扱いしている。
社員は、会社運営の材料という意味になりやすい。
神示では、この、表面的な見方が上手な人は、最初はすぐ高みにいたるが、やがて行き詰まると言う。しかし、表面と魂・心の奥底のことも重視する人は、最初はうまく行かないが、やがて時間はかかるが、こちらの方が、神の恩恵を受ける、つまり幸福になれると言ってると思う。
表面的な見方とは、
嘘は武器、弱肉強食が正しく、他の人は洗脳したり暗示にかけたりして、うまく道具にすればいいと言う見方だ。自分さえ、自分達さえ良ければいいと言う考えになりやすい。
はっきり言って、ブランドや「有名だから」というものの多くは、暗示にかけられてると思う。コマーシャルだけで無く、多くの人の意見が、暗示の効果がある。
みんなが、いいと言ってるから、、、とか、お金や豪華さを演出したものは、優越感を誘うが、短い肉体人生だけの欲望達成であると言える。
もっと、生まれ変わりの繰り返しの、長い長い目で見る人は少ない。
もっと、大きな目、たくさんの人の幸福を考えた目で見る人は少ない。
贅沢は、逆に差別・格差と弱者切り捨てにつながっていることを見逃す人が多い。
それだけの富を、多くの人に流す方が、全体の幸福を押し上げる。
贅沢を使う方が、お金が回っていいと言う人に言おう。そのお金を、人のために使う方が、もっと、お金が回っていいのにねー。
神示では、各人の守護神に聞けと言う。
私の解釈では、小さな共通意識から、より大きな範囲の共通意識まで、共通意識に聞け、潜在意識の中の共通意識を重視しよう、ということです。
我よし(利己主義)は、ダメよ。鼻高(傲慢)ダメよ。取り違い(正しいと思ってることが、大きな目で見て正しくないことがある)ダメよ。
魂の、心の奥底の、本当にやりたいことは、共通意識を幸福にするための役割だと思う。大きな神は、それぞれの神々に、役割りを与えた。それぞれの神々は、役割りを、担(にな)い、役目を果たすことが幸福だという風に、大きな神は作ったはずだ。
魂の本当にやりたいことは、共通意識の、そして、全体の幸福にも役立つことであるはずだ。
しかし、現代、共通意識と、表面意識は、分断され、遠く離れてしまっている。
岩戸締めと言う。
その、表面意識と共通意識の両方の幸福を一致させ、両方を幸福にさせること、それを岩戸開きと言う。
私は、成功者では無い。
だから、この話を書く資格は無いかもしれない。
でも、たくさんの、成功法則や成功哲学、プラス思考の本を読んだ中で、
人を犠牲にした、人を材料扱いした、弱者を足蹴(あしげ)にした、弱肉強食と競争勝ち抜きのみを重視した、考えが多いことをつくづく感じる。
弱肉強食じゃなく、両方幸福、個人も神も幸福にする、日月神示・ひふみ神示。
競争や戦さ(いくさ)もあるが、悪をも抱こうとする心。
そんな、心を、おすすめします。
Posted by 宝塚のおじ、早山正恕(はやませいじょう)又は、早まる幸福の早◯(はやまる) at 21:19│Comments(0)
│幸福について
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