大本神諭、気になるところ、日月神示・ひふみ神示との関連

宝塚のおじ、早山正恕(はやませいじょう)又は、早まる幸福の早◯(はやまる)

2019年08月22日 21:17

大本神諭、気になるところ、日月神示・ひふみ神示との関連

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出口王仁三郎さんは、世界的に宗教を協力させる運動をしたと、お聴きしています。すべての宗教は、同じ根を持つ、そのことに賛同する宗教指導者たちと協力関係を広げようとした、とのことです。賛成です。本当の神様は本当の神様です。しかし、偽物の神様を主張する人々もいるし、神など存在しないとする人もいます。でも、そうやって、偽物や独自のみが正しいとしている人々がいる限り、戦いは続きます。真実、そして、誠の心、本当の幸福をどうやったら人類は手に入れることができるのでしょう。どうか、目に見えないことを含めて、合流・真の協力することのできる人類になりますように。
世界が平和でありますように、と、祈ることはできますが、パワハラや脅迫、奴隷状態が続くこの世界のままでの平和は、意味が無いと私は思います。すべての人の心に、弱者へも思いやりを持てる、奴隷状態では無い、みんなが喜びあってる、そんな、平和を望みます。そんな、平和が来ますように。
宗教も思想も哲学も科学も全てが、まことの心で、合流しますように、祈ります。

分流とは心の傷

分御霊(わけみたま)とは、神の魂の傷からの必要性で発生するのではないか?
分流(宗教思想哲学科学の分流)とは、説明の傷から出るのではないだろうか?
ケンカとは、個人個人の心の傷から、発生するのではないだろうか?
悪とは、あ苦では無いだろうか?「あ」 とは、始まりのエネルギー・始まりの神。あ苦とは、始まりの神の苦のわけみたま。

すべてのケンカを無くすには、「癒し・傷を治すこと」を考える必要がある。

前部分への追加終わり

大本神諭読んどる。いや、読みかけとる。読み切れるかな?
ここ5年くらいかな、目が疲れて読むことが苦痛で、
なかなか、読みかけが増えるも、読み切ることが減ってきた。
このブログも、なかなかアップしとらんなあ。
このブログは、どうしたら幸せになれるかが、主要テーマ、、、のつもりだから
その中で、日月神示・ひふみ神示や孔子の論語、日常のニュースなどについて書いとる。

もうね、眠いし、読むのも書くのも、しんどいし
大事なことだけを、書いとく。

日月神示・ひふみ神示
予言や都市伝説として読むひとが多いが、
私は、真実の神さまだと思っとる。
というか、真実の神さまが、幸福になるための道を示しとると、思っとる。

予言や都市伝説の話は、面白いが、重要では無い。
人類と地球のすべての命を、幸福にすることの方が重要だ。

そして、日月神示・ひふみ神示では、理屈より道が大事だと言っとる。
道とは、口と心と行い、そして、神霊界と幽界と現界の三つのことだ。
口先や理論・理屈のみではダメ。
目に見える世界(現界)を変えるだけでもダメ。

無神論者に言うとするならば、表面意識を変えるだけではダメで、
個人の潜在意識も、そして人類や全生命の共通深層意識も、変えなければダメ。

それぐらいのことを、日月神示・ひふみ神示は、伝えていると考えている。

だから、まずは、日月神示・ひふみ神示と、大本教の合流から
考えてみようと思ってるが、もっと、賢いひとで、体力も集中力もある人の力を、本当は借りたい。

眠くてね。

何しろ、超霊界日記だったっけ、霊界日記(大本教、出口王仁三郎)を短くまとめてくれた2冊さえ、読んでない。

とにかく、大本神諭といづのめ神諭と霊界日記をなんとかせなならんが、
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=is
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm
https://www.youtube.com/playlist?list=PLzGlW9VVxe5_WyMrL9qFNx0qZ5GupV1GM
https://www.youtube.com/playlist?list=PLzGlW9VVxe5-ewBFZZpQ9mQDLGEaUlrwQ
https://www.youtube.com/channel/UCpUc2M0W74xn8_PVTr8hhJw


古事記日本書紀も、なんとかせなならん
竹内文書をはじめとして、古いやつも、なんとかせなならん
聖書と聖書から来ている三つの大きな宗教も、なんとかせなならん
仏教もなんとかせなならん
儒教や老荘思想や中国の大思想も、なんとかせなならん
日月神示・ひふみ神示で指定している流れの宗教、天理、金光、等々も
なんとかせなならん
無神論者にも近代・現代の心理学や思想・哲学もなんとかせなならん

無理じゃーーー
一人じゃね。

それはね、合流すること

日月神示・ひふみ神示では、
二柱やそれ以上の神様が、「一体となりなされて」と、出てくる。
つまり、合体・合流するわけだ。

私は、そう、理解しとるよ。

元の神様の世界、神々の世界、霊達の世界、そしてこの現実界。
上から順に変わっていくのだから、日の神様と月の神様と地の神様が合流したということは、順に、神々の合流、霊達の合流、そして、物的肉体を持つ人間達の合流が、きっと、発生してくると、読んでる。

しかしながら、簡単にはいかん。
それぞれの宗教宗派が、二つに分かれて、合流派と独自路線堅持派となるんだろうな。最初は、独自派が大勢、だんだん合流派は増えていくということか、
もしくは
神様が、もう、合流派が少ないままでも、見切りをつけて、独自派をほっぽっちゃうという可能性がある。つまり、弥勒の世・千年王国に行くことができるのは少数のまま、という可能性もある。

この戦いは、合流派をいかに増やすかという、神様の愛を広げる戦いだね。

合流ってったって、奴隷や弱者切り捨てのままの合流では無い。
いわゆる、パワハラを無くして、上も下も幸福な合流だ。

人間の細胞を個人個人に見立てた、たとえ話がある。
細胞は、足の細胞も、筋肉も、胃も腸も、頭脳も、目も、
みんな、平等だ。どこが傷ついても、みんなに痛みが伝わる。
そして、頭脳が、足に向かってお前はバカだとか言わない、どちらも役目が違うが、どちらも大事だ。だから、どこかが別のどこかを奴隷にしたり、パワハラが起きたりしない。

合流は、大きな神の部分としての魂どうしが、自分達の役目の違いを認め合いながら、力を合わせて生きていくということです。決して、誰かが別の誰かを奴隷にしたり、恐怖で従ったり、暴力で従わせたりすることではありません。

大本神諭は縦(男性的)、霊界日記は横(女性的)らしい。
大本神諭は、なんか、ビシバシ、白黒つけて、善一筋をめざすらしい。

なんか、大本神諭は、国常立之大神、うしとらの金神[こんじん]そのものの気がする。日月神示・ひふみ神示は、複数の神がうしとらの金神を中心に示している気がする。



https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os246&order=date m36.6.14
041この大本(おほもと)から世界に知らん因縁摂理[こと]を、イロハ四十八文字で、太古(むかし)からの因縁、身魂の性来、此の身魂は、この罪穢[めぐり]あると言ふ事を、この方[ほう]が知らすので無いと、他の神では判りはせんぞよ。

091運不運[うんぷ]

m36.6.15
066 裏表の無いように、人目振[ひとめぶり]の良い、横着気[おうちゃくげ]の無なき人民じんみんなら、神かみの御用ごようが出来できるなれど、吾われは偉えらい、人ひとは駄目あかんと見下みさげる精神せいしんを持もちたり、蔭日向かげひなたのある人民じんみんは、神意きかいに叶かなはんぞよ。
074 何なにして居をりても、皆みな吾われの事ことを為して居をるのを、他人ひとの事ことざで骨ほね折をりたら損そんざと言いふ如ような精神せいしんでありたら、吾われ一代いちだいの価値あたひが少すくないぞよ。
110 直すぐに良よき応果ことを待まつ如ような心底ことでは成ならぬ、此この大本なかから世界せかいの人民じんみんの精神せいしんを替かへさせて仕舞しまはなならん世界せかいの大本おほもとであるから。
115 余程よほど身魂みたまを磨みがきて貰もらはんと、此この方ほうの容いれ物ものは、小ちいさい容器いれものは間まに合あはんぞよ。
129 神かみは敬うやまはねば、神力しんりきを渡わたされんぞよ。何程なにほどでも神力しんりきはあるなれど、神力しんりきが見みせられんから、物事ものごとが遅をそくなるぞよ。

感想
066 神意にかなった人の条件の一つ、人を見下さないこと・隠し事のないこと、かな。
074





https://youtu.be/REJONGEWpTY
⑧の真ん中らへん
信者の条件

https://youtu.be/6tmFhg0YuJg
12の⅓あたり
日月神示・ひふみ神示に無い昔


別サイト、明治24年からの日本史
https://www.jacar.go.jp/nichiro/nenpyou.htm
日清戦争 m27.8月〜
日露戦争 m37.2月〜


https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os268&order=date
大本神諭 明治三十六年旧十二月十日
033
 このやり方で行けると、世界の人民が、ま(未)た人気が直るくらいに、思ふて居る人民ばかり、途中の鼻高 一番困るぞよ。なにかのばけが、あらはれ(暴露)て来きて、上になりて偉そうにして居りた鼻高が、鼻を折りて下に落ちんならん時節がまゐりた(到来)ぞよ。申してあること(神示)が、みなでて(実現)来て、可愛相な人民ばかりで、それを見るのが つらいから、気も無ない内から、気が付けてあれども、余り疑がひが永かりた故に、一度に改心致さなならん世が、せ(切迫)まりて来たから世界は辛くなるぞよ。

感想
鼻高=偉そうにしてる状態・偉そうにしてる人
だと思う。「人気が直る」の意味はわからん。
偉そうな人は、化けの皮がはがれて、暴露されるって、なんか、平成終わりから令和の今にかけての、話に聞こえるなあ。
パワハラ側が訴えられたり、偉そうな人が非難されたり、そういうことかなあ。
もっと、深い意味もあると思うが。

明治27年に日清戦争、明治37年に日露戦争、その話は、これらの抽出した文章には無関係かな、たぶん。




わかったこと。

鏡 とは、相似形のことであり、見本・手本のことである。外からの鏡は、世界の動きで自分たちがわかり、内からの鏡は、手本となれば、世界や大きな集団を変える方向となり、道標・道しるべとなり、100匹目の猿の動きとなる。

とりが立つ、とは、日本を取りに来る国が動くこと、露国が動くこと、大本を取りに来る悪人が動くことでは無いだろうか?

(日月神示・ひふみ神示で、上下逆さま・ひっくり返ってるのことだろう→)
大和の魂がひっくり返ってる、外国に影響されてとは、
和の心を忘れ、自分中心・我中心のことだろう。
顕在意識中心で、潜在意識を奴隷と思っている。
肉体が中心で、霊体は奴隷と思っている。
自分が最重要で、神の意思は、二の次、どころか、神は人間の望みを叶える打ち出の小槌か、魔法のランプかと、思ってる人が多い。
本当の幸福は、身体の幸福のために頑張る細胞のように、神のために頑張ることだ。そして、神は全体の幸福を願うものであり、誰かだけを特別に幸福にしてあげたい、別の誰かを不幸にしたい、と思わない。今の人々は、神を自分の奴隷にしている。神=全体のために自分が頑張る人は少ない。そして、身体全体と、各細胞の関係のように、身体全体と各細胞の両方同時幸福を願うのが正しい。どちらかが奴隷になると思うのは、間違っている。身体全体と、各細胞の関係のように、どちらかに痛みが有れば、もう一方にも痛みが伝わる。両方とも健康で、両方とも大事にしあうのが正しい。

なんとなれば、外国の不幸な人に、無関心な日本人が多いからである。
日本の中の少数の不幸な人に無関心な日本人が多いからである。
もし、自分に無関係な人の不幸や痛みもわかれば、神の気持ちがわかるだろう。
お金重視、流行重視、情報記憶偏重は、強いもの勝ち・金持ち教育重視の格差社会となっており、利己主義・鼻高につながっている。

コマーシャル最重要でなければ、地産地消の小さな幸せが重視され、ブランド偏重が無くなる。それが、神の意思だ。格差を拡大するコマーシャルには、反対だ。
飛行機やIT、AIを否定するので無い。身近な少数者の不幸・痛みや遠い関係の者の不幸や痛みもわかってあげてどうにかしようという心が大事だということだ。それが、本当の神の愛だ。今のままでは、コンピュータやAI機器の発達で労働を減らせるのに、働かざる者食うべからずと、労働を奪い、貧乏人の命まで餓死させる社会のままだろう。全体の労働を減らして、与える物を増やせるのに、格差を拡大して、貧乏人を餓死させるままだろう。そして、一部の職種のみが忙しくなる。(説明不足ですな。一人一人の労働時間を減らし、すべての人に合った仕事が行き渡り、失業者無く、過重労働無く、ケンカ無く、村八分無く、人間関係も仕事のやりがいも、みんなに幸福に行き渡るように、ITやAIでできるはず。ネットの世界にも道徳が行き渡り、奴隷無く、独裁無く、すべての幸福を願う神の意志が行き渡るように、すべての人がやりがい持って思いやりあって努力する社会、一人一人の心の向け方を改善することで、可能なはずだが、今は、その方向を向いていない。あ苦の洗脳で、分裂思考が行き渡り、プライドのためにケンカしまくっている。)


追加 大本神諭
明治三十一年旧七月十六日 https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os158&order=date
、、、
廻りて来た筆先(吉崎仙人の筆先)に、後で一つに成ると云ふ事が書いて在ろうがな。斯世の来るのは神は能く判りて居りての経綸であるぞよ。斯の大望な事があるのに、未だに判らぬやうな事で、神の教の取次ぎが出来ると思ふて居るか、金光殿の宣教師よ、余程改心を致さんと、何時までも疑ふて居ると、指を啖えて跡へ寄りて居らんならん事が出来て来るぞよ。気を附けて在る御方、まことに気の毒なものじゃぞよ。金光どのの取次茲迄に神が気を附けて置いたなら神の役はモウ済みて居れども、気の毒ながら執念深う気を附けておくぞよ。
、、、
金光も合流統合するようです。



追加
日月神示・ひふみ神示
黄金の巻
第十三帖(524)
 神示はちっとも違はん。違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。その心 曇ってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。神が人間になって働くのぞ。判りたか。新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがってゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。弥栄えるぞ。二つに分れるぞ。三つに分れるぞ。分れて元に納まる仕組。結構結構。理解大切。理解結構。思考しなければ これからは何も出来んぞ。拝み合ふことは理解し合ふことぞ。手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。何故に、心の手 合せんのぢゃ。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。サトルことぢゃ。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。血ぢゃ。肉ぢゃ。かのととり。一二十

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