道徳9 子供達への道徳教育、大人へは?その9…^_^真理愛

宝塚のおじ、早山正恕(はやませいじょう)又は、早まる幸福の早◯(はやまる)

2014年06月30日 08:35





道徳9 子供達への道徳教育、大人へは?その9
http://hayamarukouhuku.osakazine.net/e.html

新学習指導要領・生きる力
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/dou.htm

今、
1-(4)真理、真実、理想
について話の途中で、脇道にそれてます。
1 主として自分自身に関すること。
(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。
(5) 自己を見つめ,自己の向上を図るとともに,
個性を伸ばして充実した生き方を追求する。 
前回、都議会のセクハラヤジについての道徳的な問題について、考えました。
1-(4)
(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。
です。
本来の話に戻ります。

えーっと、
道徳って、中国発祥のイメージです。
が、「真理」って、西洋哲学のイメージです。
そういえば、前にも書きましたが、
中国の文化思想は、素晴らしいものもあるが、
作っては壊し、作っては破壊しの連続です。
そんな感じしませんか?
そして、中国は、真理を愛しているようには見えません。
今の中国ですよ今の。
「真理を愛せ」という発想は、西洋の発想のような気がします。

ほんとは、どうなのか、知りませんが。
孔子さまは、理想は、求めました。
理想の政治とは、上に立つものの理想の姿とは、
人間関係の理想の姿とは、
そういったことを、一生をかけて考え、
弟子達に、伝えていったのだと思います。

だから、真理も、愛したのでしょう。
しかし、昔も今も、中国は、
真理を愛しているようには見えません。
本音と建前、ということもありましょうが、
そもそも、いつも、ファジー=あいまいなのが、
中国人。中国語もあいまいが、多いのでは無いでしょうか?
西洋人のように、物事をはっきり、YESかNOかを
はっきりしないのは、
日本人の性格と、言われますが(確かに合ってますが)
中国人も、同じかもしれません。

占い師として、儒教のテキストである四書五経の中の
易経を学んでいると、
一つ一つの文章に、いろんな解釈の仕方があり、
いろんな人が、いろんな説を唱えている。
ほんまは、どやねん、と、いつも思ってしまう。

でも、それは、論語でさえ、あいまいなところがあるのでは無いでしょうか?
そんな中国人の作った道徳、中国語。
「(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。」
と言ったって、西洋の発想、倫理観。

それが、日本の文部科学省の道徳の指針に、
書かれているのである。

反対しているのでは無い。
賛成だ。
「(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。」
ことは、大切なことだ。
中国道徳では、重視されてこなかった、
真理・真実、日本で追加されました。
大賛成だ。

だから、(4)については、それは、道徳に当てはまるのかという議論は、私はしませんか。

ただ、後半の「理想の実現を目指す」ということは、
孔子さまが、先生の人生をかけて貫かれたことであります。
そして、その、「理想の」の中身が非常に重要になってきます。
孔子さまは、周公という、昔の理想の王・政治家を、わずかな記録を元に考え考え、理想を人に伝えたと聞きます。

逆に、弟子達は、孔子様の話を元に、理想を考え、
道を作っていったのだと思います。

日本人も、儒教や老荘思想などの書物や、自分たちの考察を元に、日本の道徳を作り上げてきたのだと言えます。

だから、「理想」を持って、その実現を目指す、
そのことは、大切なことです。

ただ、
「(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。」
理想の実現は、自己の人生のためではないと思うのですが、皆さんはどう思われますでしょうか。
自己のためでなく、もっと大きな大義、目標、
多くの人を幸せにして行く、思想・社会づくり
果ては、全ての人の幸せのために、
「理想の実現を目指す」のではないのでしょうか。

うーん、
文章の読み方の違いかもしれない。
読み間違え易いのかもしれない。
「理想の実現を目指して、自己のために人生を切り開く」と、言ってるのでなく
「理想の実現を目指しなさい。そして、自己の人生を切り拓いて行きなさい」と、言ってるのでしょうか。
それなら、賛成です。よかった。

「(4) 真理を愛し,真実を求め 、理想の実現を
目指して自己の人生を切り拓いていく。」これにつき、
利己主義のための人生開拓なら、反対ですが、
多くの人のための理想の実現のための人生開拓なら、
賛成です。

ここでも、「理想」の意味が重要になってくる。
その人の考える「理想」が、利己主義的、自分さえ良ければ良いとする「理想」ならば、
その人の人生開拓は、周りに迷惑な「理想」になる。

しかし、その人が考える「理想」が、多くの人を幸せにして、その中で、自分も幸福になろうという「理想」ならば、その「理想」は、素晴らしいものになる。

これは、思想上の難しい話ではなく、
身近な問題でもある。

たとえば、仕事選びのことです。
人に役立つ仕事選びは、おおいに理想、人生開拓。
人を犠牲にする詐欺や窃盗のような仕事選びは、
「大金持ちになれるので俺にとっての理想だ」と言っても
許されません。



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